無心の先にあるもの
設計をしていると、ふと手が止まることがある。
「これで良いのだろうか」
「もっと良くできるのではないか」
そんな思考の渦に、知らず知らず引き込まれてしまうことがある。
でも、心が澄んでいるとき――
敷地の佇まいと住まい手の想いが、胸の奥にすっと染みわたってくるとき、僕の頭の中に言葉はない。
ただ、手が動いている。
今まで何度も考え、何度も悩み、何度もつくってきた経験が、言葉を超えてかたちを導いてくれる。
それは決して、なにも考えていないのではなく、考えるという行為を超えて「澄みきった何か」とつながっている感覚である。
無心とは、空っぽになることではない。
むしろ、満ちている。
経験や学び、心の姿勢が澄み重なったときにしか得られない「満ちた静けさ」がそこにある。
職人たちの手元を見ていても、よくわかる。
無駄な動きはひとつもなく、迷いがない。
それは長年の鍛錬が身体に染み込んでいるからこそ成せる技だ。
その境地に入ったとき、人は自分の意識すら超えて、本質に触れる仕事ができるのだと思う。
私たちが大切にしているのは、まさにこの「無心」の質。
技術を学び、感性を磨き、心を澄ませる。
それはまるで明鏡止水のように。
そうして初めて、住まい手の人生に寄り添える住まいが生まれるのだと信じている。
日々、黙々と積み重ねていく。
考えすぎることなく、ただ、まっすぐに。