日々の綴りごと

情に寄り添い、理に立つ

建築を考えるとき、私はいつも、その人の心の奥にひっそりと佇む風景に耳を澄ませるよう心掛けています。
それは目に見える外の景色とは異なり、輪郭もあいまいで、はっきりとはかたちを持たないものかもしれません。
けれど、それこそが、その人の記憶や感情、体験の蓄積として静かに、そして深く根づいている大切な風景だと感じています。

たとえば、幼い頃に感じたぬくもりや、陽だまりの中でふと胸に宿ったやすらぎ。
そうした情景が、その人の暮らしの奥に今もなお息づいているように思うのです。

建築とは、そうした内なる風景に、やわらかくかたちを与えていく行為なのかもしれません。
あえて言葉にするなら、それは「風景の器をそっと据える」ようなことにどこか似ているようにも思うのです。

設計においてまず耳を澄ますべきなのは、性能や間取りの論理ではなく、その人がどんなふうに生きていきたいのか、どんな気持ちで日々を過ごしていきたいのかという、静かな願いです。

穏やかに暮らしたい。
家族と丁寧に時間を重ねたい。
自然のうつろいと共に息づいていたい。

私たちは、そうした「情」に寄り添いながら、その感情を丁寧にすくい上げ、「理(ことわり)」をもって、住まいというかたちへと導いていく。

建築とは、感情と理性がたおやかに交差するところに、ようやく立ち上がってくるものなのだと思うのです。